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2006.07.11 12:37  [ 日々の事、雑記 ]
 
 
ここ数週間、色々と考えさせられる事がたくさんありました。
世の中には色んな人がいる事。

改めて思ったのは、自らの評価を決めるのは自分ではなく他人だという事。

いくら自分で「自分はこういう人間なんですよ」と叫んでみたところで
他人が判断するのは、あくまで”その人から見た自分”なのです。

日々どんな風に生きていくか、数ある選択肢の中からどういう行動をしていくか。
これが大切なのだと思います。

例えば、”あなたは存外な人間だ”と非難されてしまったとしましょう。

この時、いくら弁明をしてみたところで過去の自らの行動に感じたイメージを
他人は印象として残すわけですから、少なからず悪意は無かったとしても
いくつもある選択肢の中から誤解されかねない行動を選んできたのです。

ここで開き直ってしまわず、反省点として自らの過去を振り返り
誤解されないような選択肢を選べるよう改善していく事が大切だと思います。

きっと、それは自分の糧になるはず。




花月咲日 出来る事なら、もう1度

この日は、おばあちゃんの一周忌法要がありました。

ぼくは母方の祖母であるこのおばあちゃんが大好きで
小学生の頃からかな、ずっと一緒に暮らしてきました。
亡くなってから1年経つ今でもどこか穴の空いたような心持ちでいます。

よく、手をつないで歩きました。
ぼくは出生に色々ありましてどうしても実の父親と折り合いがうまくいかず
このおばあちゃんの方に家族愛というものを感じていたのかも知れません。

とても綺麗好きで、年齢を重ねてもお洒落に気を遣うプライドの高い人でした。
お洒落といってもケバケバしいという意味ではなく素朴で暖かい感じ。
鼈甲の櫛を大切にしていたなぁ。
将来、年をとるならこんな人になりたいなといつも思っていました。


そんなおばあちゃんが眠っているお寺の住職さんは
ぼくが小さな子供の頃からよく面倒を見て頂いた方で、
色々とお話をさせて頂いてきました。



何でも、多くの日本人が古くより依り代としてきた仏教の考え方では
人生というものは輪廻し、何度も何度も繰り返し生きて
その中で自らの”業”を浄化し、成仏する為のものなのだそうです。

ちなみに、成仏というのは業を浄化した人間が釈迦などと同じ仏になるという事。
釈迦を初めとする仏は”神”ではなく、業を浄化した我々人間の行き着く先であり
いわゆる”特別な絶対者”というわけではないというのが仏教の考え方。

その人生で業を浄化しきれなかった人間は
また生まれ変わり、業を浄化する旅路を辿る事になる。

簡単に言えば、良い行いをして身を清めなさい、という事ですね。

この考えに添うならば、人間が抱える心の悩みや苦しみというものは
自らが前世やもっと以前の世で犯した業なのでしょうか。
それでは、あまりに救いがないではないか。

ぼくは思った事をそのまま住職さんに伝えてみたが、明確な答えというものは
長い人生の先輩である老人にも悟り得てはいないようでした。
彼もまた旅路の途中なのかも知れない。


ぼくの宗教というものへの解釈は、”偶像としての神”を自らの中に創造し
絶対者に救いを乞う事で精神的な安らぎを得る行為。

いわゆるキリスト教のような絶対神を奉るタイプのものという捉え方が近いのかしら。
神の存在を信じている人もいるでしょう。
逆に、信じていない人もいるでしょう。
どちらが正しいかなんて誰にも分かりません。

でも、それでいいと思う。
神などに頼らずとも生きていける強い人はそれでいいと思うし、
例え存在などしなくても”絶対者”として神を崇め
その存在に許しや救いを乞う事で精神的な安らぎを得られるならば
それはそれで、また良いと思うのです。

何でもかんでも合理的でストイックな判断を基準にしてしまうと
そこには揺らぎもなく、生きていくにはつらい人も出てきてしまう。
生きるには振り幅というものが大切なのかも知れない。


住職さんと別れたあと、親戚が集まっている大広間へ戻ると
法事だというのに厚化粧に派手なアクセサリをして
酒で真っ赤になった顔をしている叔母が大声ではしゃいでいた。



ため息を1つ。


大広間の奥にある窓辺に行き、外を眺めていると
6歳になる親戚の女の子が大きな玩具を抱えてぼくの方へ歩いてきた。

幼稚園で覚えたらしい歌を一生懸命聴かせてくれた。
とても純粋で、無垢だ。


あぁ神様、この子が心の苦しみなど知らずに育ちますように

そんな事を思いながら、ふと横に目をやると
先ほどの叔母が目に入った。


違うな、心の苦しみを知らずに育つと
この子も将来ああなるのだろうか

などと思い苦笑いをしていると
小さな女の子は不審げな顔をして、ぼくの顔を覗き込んでいた。

にっこりと微笑んで頭をなでてあげると、これ以上ないくらい
かわいらしい笑顔を返してくれた。


あぁ、元気に育ってくれればそれでいいのかな。

それでいいですよね、おばあちゃん。

天国で笑っているだろうか。
私は未だに、あなたほど心の美しい優しい人を知りません。
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テーマ:大切なもの - ジャンル:日記

 
 
 
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